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EUが打ち出したe-Inclusion政策

 ICTを利用する社会が、今後どのようなものになっていくのか、どのようにあってほしいのかといった社会の観点からの提言は、日本ではあまりなされてこなかった。たとえあっても、かなり技術寄りで、一般人が読んでも分からないものではなかっただろうか?

 確かに、世界のICT技術の大半はアメリカ発である。日本はそれを応用する能力に長けている。しかしどうやら、それを使いこなして、どのような社会にしたいのかに対するビジョン構築力は、EU(欧州連合)のほうが勝っているかもしれない。このところEUは、2005年のリスボン宣言に続き、この2006年の6月にリガ宣言という閣僚級会議による方針発表を行った。それは、EU内のあらゆる市民を、ICTの進展から取り残さないという趣旨のものである。

 これまでEUは“e-Accessibility”を熱心に推進してきた。ICTの機器やソフトのアクセシビリティー、Webコンテンツや電子政府、電子投票のアクセシビリティーなど、さまざまな技術的標準の策定や普及に力を注いできたのである。米国のリハビリテーション法508条やWWWコンソーシアムのWAI(Web Accessibility Initiative)を参考にしながら進めてきた点は、日本も同様だ。だがこの数カ月で、EUの政策は一気に進歩した感がある。e-Accessibilityを技術的な支柱にしつつ、もう一歩先の未来、人々が望む社会を提示して見せたのである。“e-Inclusion”として。

 e-Inclusionは、ICTが障害や年齢によって使えることは当然とし、その上で、文化、言語、経済的背景なども含めて、EUのあらゆる市民が、ICTによる教育や社会参加の機会を失うことのないように進める方針である。日本でいうデジタルデバイドの克服にも近い概念だ。だが、日本ではおそらくこの概念へ進むことはできないだろう。日本は、技術においては、おそらく米国にもEUにもひけをとらない。だが、それを支える社会や政策のほうが変わらないからだ。

 もはやEUの人々は、アクセシビリティーを高めるための技術のみを追求してはいない。インクルージョンを推進できる技術を追い求めている。多様な人々が憩える公共空間における情報提供はどうあるべきか?誰もが旅を楽しめるための情報サイトには、どのようなEU共通のデータベースが必要で、それを個々人のプロファイルに応じて引き出すWeb2.0の仕組みはどう作るのか?EUすべての国や来訪者に使いやすいサイトにするには?といったプロジェクトが、何年もかけてEU全体で研究されている。目的のほうが先にある。技術は、人間の幸福に貢献するためにあるというコンセンサスを感じる。

 振り返って、日本を考える。確かに個々の技術はすごい。政府はアクセシビリティーのJIS規格も作ったし、ブロードバンド世界一と胸を張る。企業はシニア市場を考えてユニバーサルデザインの研究に余念がない。支援技術の研究に政府は膨大な予算を大学や研究機関に出している。だが社会のインクルージョンは、実際に進んでいるだろうか?第一子出産後、7割の女性が職を辞す日本。大学へ進学する障害者の数は、全入学者の0.01%にも満たない。欧米の100分の1以下である。大学全入時代の昨今、企業の障害者雇用率の1.8%を守れというほうが無理に思える。全ての大学に障害学生支援センターがあり、企業の就労者も障害を持てば大学でICTと支援技術の訓練を受けて復職できる海外に比べ、日本では文部科学省の中に、高等教育における障害学生担当は全く存在しないのだ。高齢になって障害を持っても、ICTで社会とつながるための訓練を受ける場はほとんどない。健康を害し、職を失い、絶望して死ぬ人が3万人もいる社会が、果たして幸せと言えるのだろうか?

 EUが打ち出したe-Inclusion政策を見ながら思う。ICTが人間を幸福にできる道具の一つであるとしたら、日本の政府にその未来社会へのビジョンはあるのだろうか。もしどこにもないとしたら、我々の住むこの国は、何のために巨額の投資をして、ICTを進めているというのだろう。魚を与えるのではなく、魚の取り方を教えるのが本当の自立を目指す道のはずだ。ICTを、技術面だけでなく、社会全体を良くする道具として、もっと鍛える必要があるのではないだろうか?

- 2006年7月27日 「NIKKEI NET」ITニュース面コラム「ネット時評」 -

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