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3月16日 ロサンゼルス CSUN 1日目

ロサンゼルスでは、カリフォルニア大学ノースリッジ校(CSUN)障害センターが主催する「テクノロジーと障害者 'カンファレンスに出席した。これは世界最大の、情報通信分野における障害者支援技術の展示会で、世界各国から3,000人以上の参加者、100を越える企業展示が、ロサンゼルスエアポートマリオットとヒルトン2つのホテルの会議室などをほぼ借り切って開催されるものである。今年で13回目を迎えており、世界各国から300以上のプレゼンテーションがある。関係者の間では、シーサンと呼ばれている。

障害者とテクノロジー会議会場風景

その1日目。朝から急いで受付をして、申し込みをしてあったGregg Vanderheidenのユニバーサルデザインのコースに行く。かなり満席だ。彼は全員に、簡単な自己紹介をさせてから、講義に入った。UDの基本理念、電子機器のデザインの在り方、Webデザインのユニバーサル化のアプローチ、といった話が続く。いつもながら、質問はとても活発で、障害者本人もできるだけ多く発言しようとする。この双方向性こそ、もっと日本の学会などでもあるといいな、と思うものの一つである。重い発話障害の人が発言すると、かならず周りの人で彼の言葉を通訳して意図を他の受講者にもわからせてくれる人が現れる。これも、情報をみんなに伝えるという重要なボランティアだと思う。また、障害者本人も、自分の発言は人の倍、時間を取ると知っているため、できるだけ要点を絞って答えやすい質問にしようと努力している。社会の中でみんなと一緒に生きる上での、マナーのようなもの、それをお互いに身につけていると感じる。

Greggの話は、いつもながらわかりやすく、説得力があった。障害者支援技術のリーダーとして世界を引っ張って行った彼は、いま、情報通信分野におけるユニバーサルデザインの旗振り役として、また世界をひっぱっていこうとしている。リハビリテーション法508条も、情報通信法255条も、彼の尽力があってできた部分も多いという。障害者や高齢者を、情報化社会の中で、特別なものとして扱わず、周囲と調和しながら共に情報受発信を可能とする環境を作り上げて行くのが、Greggの理想なのだ。私も、障害者支援技術にかかわるようになってから、ずっとGreggの動向を追ってきたような気がする。
ただ、おそらくGreggも、これまでの障害者支援技術だけの世界からユニバーサルデザインへと踏み出したときに、私と同じようにものすごく多くのとまどいがあったに違いない。

これまでの、限られた障害への、限られた機能の製品を作って紹介していればよかった時代から、あらゆる障害、あらゆる年齢層に目配りをしながら、一般人に使える製品を作っていくという変化は、かなり劇的なものである。おそらく、何度かの自己否定を繰り返しながら、2つの世界の溝を埋める作業を根気良く繰り返すしかないのである。

しかし、なんとか彼はやり遂げるだろう。きっと10年以上かかって。最初にTrace Centerを作って障害者用パソコンソフト・ハードを作り始めたときだって、きっと同じように試行錯誤の連続だったに違いないからだ。パイオニアはいつだって闇の中を進むものだ。わたしも、彼の活動に勇気付けられて、もう少しがんばる気になった。コースの後、2月に案内してくれた通信機器のデザインコースに行けなかったことを詫びに行くと、8月にまたやるからおいでよ、と言ってくれた。続ける努力が必要だと思った。

午後は、Mike PacielloのアクセシブルWebデザインのコースを受ける。基本的なことが主だ。初めてWebを作る人もたくさん増えているのだろう。サンプルコーディングなども自分でハンズオンできるようになっており、私はヨーロッパから来た脳性まひの方と組んだのだが、システムの調子が悪く、最後まではできなかったのが残念だった。W3Cのガイドはまもなく出るだろう。しかし、無意識のうちにもこのガイドラインを守るようなオーサリングツールができないかぎり、膨大な勢いで増えつづけるWebページをアクセシブルにするのはほとんど不可能な気がした。

このコースの後、Mikeに会いに行く。彼も大歓迎してくれた。
「仕事はどう? パンフレット見ると、すごい数のクライアントがついているじゃないの」
「うん、でも、連邦政府の仕事とか、時間ばっかりかかって結局ものにならないのも多いし、結構、食べていくのは大変だよ」
「わかるわ。私も同じ。大会社のときは、いろんな会議にもおつきあいできたけど、時間いくらで動いている今は、人脈のためとはいえ、ちょっとつらいわね」
「ま、お互い、前の会社では儲けにならないことを許してもらっていたって訳だ。」

彼は、以前はDECの社員だった。こころWebと良く似たコンセプトのWebAbleという支援技術DBを保持していたが、会社の方針変更でこのDBを持ったまま、自分で会社を起こしている。すでに、障害者支援技術は、大企業が社会貢献で行なうレベルを超え、社会全体でその開発や普及促進を行なう環境になっているのだが、それを担う人材はどこもそれほど多くはないし、決して楽ではない。彼とはこの会議中、何度も話をした。がんばろうね、とエールを交換しあった。