3月15日 サンフランシスコからロサンゼルスへ
伊藤さんのご家族と一緒に、市内在住の岡部さんを訪ねる。彼は「インターネット市民革命」の著者で、情報化社会のあり方を市民の側から提言している人である。
一緒に、近くの図書館に行った。小さい図書館ながら、きちんとアクセシビリティに気を配ってあり、かつ入り口にポスターが張ってある。「僕も本が読める」肢体不自由の少年が支援技術を使って本を読んでいる写真だ。こんなところは、ADAのいいところだなあと実感してしまう。あらゆる図書、あらゆる情報は、一般の方に公開されている場合、障害を持つ人にも平等に利用されるべきである、それを支援するのが公共の役割である、というのを明確に打ち出している。
岡部さんのかっこいい息子さんと、一緒に近くのおいしいベトナム麺屋で昼食をとる。なんだか、このあたりは中華系の人が多く、安くておいしい店が多いそうだ。リサイクルグッズの店も見せてもらう。スーツが3ドルとかいうとんでもない値段だ。ガレージセールと変わらない価格である。これが商売になっているのが、アメリカなんだなあ。
午後、バスで市内を経由し空港に向かう。ちょっとだけ、と思って市内のデパートに行ったが、どうもさっきの激安ショップの値札がちらつき、結局何も買わなかった。これは正解だろう。
夕方の飛行機でロサンゼルスへ向かう。私は、普段は国際線も国内線も、通路際を確保する。出入りしやすいし、飲み物のお替わりを頼みやすいからだ。でも、一個だけ例外がある。夕方から夜にかけて、ロサンゼルスに入るときだけ、窓側を希望するのだ。ほとんど曇ることのないあの街を、縦横に流れるフリーウェイ、限りなく続く光の洪水を見たいからである。関東平野をすっぽり覆いつくすこの光の海は、人工美の極地であり、それが膨大なエネルギーのロスだとわかってはいても、やはりこころをひかれるものなのだ。ちなみに、東京の夜もそれなりに美しい。お台場の観覧車から見る東京の夜景も、同じようにこころ惹かれる。多くの人が住み、多くの人がそれなり生きている。そのことを実感させるのが、個々の家の光だからかもしれない。
LAの空港では岡本さんのスーツが入ったコンテナが丸ごと積み残されたらしく、出てこない。わたしは現地の友人が待っていたので、岡本氏を残して先に行くことにした。自分でも冷たかったかなあと反省。
しかし、このLAの風を吸うと、なんだか生き帰ったような気がする。やはり2年も暮らした町は、第2の故郷のようなものだ。ここには、以前ボランティアで通っていた日系老人ホームも、かつての隣人が入居している高齢者ホームもある。過ごした時間のなかに、確かに存在した自分を思い出すのだろう。