3月14日 サンフランシスコ ミラマール
大雨のなか、ミラマールへ行く。ここは世捨て人が住むには絶好の場所かもしれない。密かに愛読するリチャード・ボードの「自分の人生がある場所へ」(翔泳社)のなかで、時間に追われず、人の眼も、地位も名誉も気にしない生き方を知ってから、いつかミラマールへ行きたいと思っていた。この美しい浜辺でしぎや千鳥の遊ぶのを見ていると、俗世間のもろもろが波に洗われて行くような気がする。海や空が人間に与えるものについて、深く考えたくなってくる。老後をここで送るのもいいなと思った。海辺のレストランは日曜のブランチタイムで、とっても混んでいた。この雨だというのに。しかし、こぎれいなみなりの老夫婦、にぎやかな高齢者のグループと、ここもかなり年齢が高い。恵まれた余生、という言葉が頭をかすめる。週に一回、すてきなレストランでちょっとだけおしゃれをして軽い食事をする。一杯だけシャンペンを飲んで。わたしもそれくらいのぜいたくを楽しみにするような余生を送りたい。他の日はつつましく、多くを求めずに生きているような。
米国の高齢者は、英国と違ってアクティブな印象を受ける。スポーツ好きの活発な人が多いのだろうか。赤いスゥエットスーツを着ていたりするのだ。いつかテレビで60代以上のご婦人のバスケチームの活躍を見たことがある。腕に「バスケ命」と入れ墨をしていた。優雅な印象の英国とはかなり違う。どっちがいいともいえないが。ただ、「若くアクティブ」なことをよしとする価値観から来ているのではないことを祈りたいと思った。
美容院にもしっかり行っているのだろう。とってもきれいにしている。高齢者も、障害者も、「身奇麗にする」というのがこれからの鉄則であってほしい。いつも美しくしていること。かっこよく見えること。ダンディなおじいさまを増やして、楽しい余生を送りたい。(社会改革って言ったって、いつも自分のためだなあ)美容院、劇場、デパート、年をとってから行く場所は、どこもアクセシブルで、かつ、ユニバーサルデザインなサービスを提供していてほしい。
夜、ドン・ノーマンに会う。物静かで、素敵な人である。「デザインの未来」を手渡されて初めて、私は彼が古瀬さんの本の共同著作者の一人であることに気づく。わたしは喜ぶあまり、この本にサインしてもらうことを忘れてしまった。
ものごとと、人間がどのように接していくのか、ユーザーインターフェースを根本から問いかけた人である。認知心理学、認知工学の大家であり、その道の人からは神様のように思われているらしい。ミーハーなわたしは、単に有名人と写真がとりたくてついていったのだけど、なんだか気おされてしまった。夕食に招待してくれた。
「なんでユニバーサルデザインをやろうなんて思ったの。大変な仕事だよ。これからきっと日本がUDを理解し、社会全体が変わるまでには何十年もかかるよ。」
「わかっています。日本ではとても難しい仕事だと思います。でも、誰かが変えようという意思を持たないかぎり、何も変わらないと思ったからです。」
「長い、長い時間が必要だと思う。社会が変わるのには、教育をはじめてから世代が変わるのを待つ必要がある。UDは根気のいる仕事になるだろう。」
ドンは、静かに語ってくれた。寡黙な人なので、おしゃべりな私でもあまりはなすことはできなかったが、強い意思を感じさせる人であった。奥さんが温泉が好きだというので、もし今度、来日されたら一緒に温泉に行きたいと思った。