3月10日 (その2) ニューヨーク クーパーヒューイット美術館
午後、Cooper Huwitt Museumでのby Unlimited Designの展示会を見に行く。メトロポリタンからもう少し先の91ストリートと5番街にある小さな美術館で、以前、アレクサンダー・アルダーのモビールの美術展を見に行って、とても気にいった場所である。古い品のいいお屋敷を美術館に改造したものだ。
もう会期が終わりかけているせいか、頼んだら資料をどっさりくれた。展示は、さまざまな生活の場におけるユニバーサルデザインの製品を、工業デザインの感覚で並べてある。絵も親しみやすいし、生活の場としての印象はわかりやすいものがある。キッチン、バスルーム、子供の遊び場、サイバースペース、仕事場、庭仕事.....2回、回った。日本からはソニーのMy First Sony、E & Cから花王のシャンプー・リンスが出ていた。Wearable Computerも、帽子、腕時計、靴などが展示されている。サイバースペースにはIBM Special Needs Systemのソフトが5つも並んでいる。これの中でUDと呼べるのはホームページリーダーとViaVoiceだけだと思うのだが。別の場所にKensintonのエキスパートマウスがNetscapeのPCに付加してあった。これも、まあUDといえばUDである。
しかし、2回も館内をめぐるうちに、わたしはなんともいえない違和感を感じるようになってきていた。観客に、障害を持つ人はついに見られなかった。高齢者も少ない。さまざまな生活用品も、触って使い勝手を確認できるものは数えるほどしかない。あくまで工業製品としての展示なのだ。
わたしはE & Cで行った「バリアフリーは銀座から」の楽しさを思い出していた。あの会では、ほとんどの製品が障害者や高齢者に触ってもらうことができた。体験してもらうことのほうが大事だったのだ。視覚障害者に見てほしい、障ってほしいという思いが、結果として他の障害者や健常者にも、触って実感する展示会になっていた。しかし、ここでは電話機やドアノブは触れるものの、やかんやおふろ洗いのブラシに触ることはできない。握ってみて、力をいれてみて、初めてわかる感覚を実感することができないという焦燥感が、この違和感の原因だったのだ。
美術館の展示品なんだから、しかたがない。でも、わたしはE & Cは着実に実績を積んできたのだと思う。当事者とデザイナーが対等の立場で、常に共同作業をする。展示会では、障害を持つ人にもそうでない人にも、たくさん来てもらうことを目的とする。企業のデザイナーがその場で触ってもらいながら、説明する。
何もかも手作りだったが、あの会は、UDの本質そのものだと思う。
もちろん、Cooper Huwittに展示してあるものも、実際使ってみたらすばらしいものが多いのだろう。中庭に置いてあった椅子は、高齢者向けにデザインされたとのことだったが、実際に座ってみると、そのてすりの心地よさにびっくりした。手を置いておく場合にはいかにも手を休めているという感覚になるし、立ちあがろうとするとそのまま手すりを握れば特別な力を入れないですっと立ちあがれる。これまで椅子のてすりなど、気にしたこともなかったが、よいデザインというものが人間に与える影響を、実感した一瞬だった。UDは、人間をLazyにするのではという考えがあるが、それは誤りである。形だけにこだわった、または人間というものをよく知らないで作られたために、人間が普段の生活でこうむっている苦痛というものに対して、デザイナーがやっと気づいてきたのだと思う。