韓国UD会議 1日目
韓国へは3度目
ひさしぶりの一人旅である。このところ、ずっとツアーで団長さんばかりだったので、たまにはいい。ソウルまではたったの2時間だ。UAは結構混んでいる。隣には美しい韓国人のおばさま。流暢な日本語をお話しになる。38度線の問題や、離散家族のことを話されて、しみじみしてしまった。このインターネット全盛の世の中で、55年の長きに渉って、肉親と電話はおろか、手紙のやりとりさえできないという事実は重い。55年。人の一生よりも長い年月、引き離されてしまった親子や兄弟の、劇的な対面が実現したのはたった一回であるという。それもたった2時間だったのだ。何も話はできなかった。ただ、抱き合って涙を流す以外、何もできなかったという。その後、対面の話は進んでいないそうだ。
韓国の方は、家族をとても大切にする。かつて訪ねたときも、彼等の口からファミリーという言葉が何度も出てきた。この人々が、その何より大切な家族と離れて暮らすことの悲しみを、われわれは想像するしかできない。
38度線。それを引き起こした原因の一つに、われわれ日本人がかんでいることを、私は悲しむ。しかし、もうそれは言わない。となりの、この美しいおばさまは、日本に大切な息子がいるという。とてもハンサムで、大阪では有名な歌手なのだそうだ。日本人の若いお嫁さんがいて、かわいくてしょうがないらしい。来年は孫ができると目を細めた。若い世代、戦争とは関係無い世代を、この人々がうけ入れているのだから、わたしもその事実を受け入れる。わたしは、自分が初めて韓国へ言ったとき、独立記念館へ行ったことを遂に言わなかった。そう、55年がたったのだ。あの戦争から。
20世紀は終わる。新しい関係を築く以外、前に進む道はない。歴史を知ること、そしてそれを理解して先へ進むこと。最後におばさまのお年を伺う。68歳!なんて若若しいんだろう。韓国も、日本も、高齢国家だと改めて思う。
リムジンバスでインターコンチネンタルホテルへ。乗客は欧米人ばかりだ。約1時間で街へ着く。うむ、なんだか、3年前に訪れたかなり以前と様子が違う。まず、街が美しい。ドット・COMの看板が目に付く。電子街が発展しているというのもうなずける。
テレビで使う無料のHPブラウザー、高速LANが常設された部屋。もちろん電話には普通のデータポートもある。しかし、わたしのIpassは、やっぱりつながらない。Ipassに国際電話をかけたが、これも返答がない。昨日から返事を待っているのに、どうもサービスが悪くてしかたが無い。なんとかならないものだろうか?