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2004年CSUNツアーレポート:関根千佳(3)

3月18日CSUN2日目 セッションの山

今日も一日、セッションが続く。出たいセッションが多すぎてぶつかってしまう。朝一番はシンシア・ワデルの電子テキストの標準化という話に出た。米国では、情報保障のために教科書は電子的な媒体にして障害をもつ生徒や学生に配布することが義務付けられている。だが、このフォーマットに関しては各州ばらばらで、出版社にとってはかなり負担の大きなものになってきていた。これを、連邦法として統一しようという動きが出ているようでその動向を話し合うのが目的の会であった。会場は満杯で立ち見も出ていたので止むを得ず一番前に座ったが、実は30分で次のセッションにいかなくてはならず、シンシアには悪いことをしてしまった。 
10時から、国防省のダイナー・コーエンが主催する連邦政府職員向けのアクセシビリティ教育プログラムの説明会に参加した。この講義は約2時間に及び、研修プログラムの内容、効果などの説明に始まり、このプログラムを支援するサポートサイトの説明など盛り沢山であった。こういった会に出ていると、私はひそかに落ち込み始める。熱心な説明者と参加者、そこには当事者もたくさんいる。障害を持つ職員への研修、ITやATの支援、508条に基づくアクセシブルな機器の選択方法、生涯にわたるサポート体制・・・いったい、日本のどこでこんなプログラムが走っているというのだろう?霞ヶ関や永田町でばりばり働く障害者を、見たことがない。そのような職員を、ITで支援するプログラムは、中央省庁にはまず存在しない。民間には東京コロニーなどがいいプログラムを出しているがそれもささやかなものである。某省には1年契約のアルバイトとして20年も不安定な身分のまま働いている当事者がいた。まあ、女性だってやっと対等に扱い始めたところなのだから、人間の多様性に関する理解が極端に薄いのは、まだ無理からぬことなのだろう。 
だから、こんなセッションに出ていると落ち込むのだ。私はよく、日本ではぶっとんでいると言われている。『関根さんの理想はわかるけど、そんなの、まだまだ25年くらいかかるよ』そんなことを日本ではいつも言われているような気がする。だが、ここに来ると、なんだか私の感覚よりも25年くらい先の社会にいるような気がするのだ。まあ、CSUN自体が、日本の感覚ではぶっとんでいるのだから仕方がないだろう。この落差。この感覚のずれ。そういったものに気づいて、落ち込み始めるのがこの時期である。

午後はWebアクセシビリティ系のセッションをはしごした。元IBMのJimサッチャーが、Webアクセシビリティ、やってはいけないこと と題して話したのは、最初から最後まで爆笑の渦だった。政府系のサイトを例示しながら、「ほーら、トップページ、重いでしょう、大変なんですよ、電話でアクセスするのは!」と語りつつ、見た目はきれいなサイトをばっさり評価していく。不要なALTタグがどれほどたくさんついているか、ツールを使ってみせる。確かに!なんで画面上の斜めにデザインされたラインに、「斜めのライン」なんて説明をつける必要があるんだろう!ご丁寧に、上のラインは「上の斜めライン」、下には「下の斜めライン」とALT属性がついている。笑えた。これをグラフィクスで書くほうがおかしいし、ALTをつける必要なんかない。エッセンシャルな情報ではないからだ。不要なグラフィクスにもALTがないとWebチェッカーでひっかかるから、こういったおばかなALTが世に溢れ、それを聞く側のフラストレーションが高まる。単に""でかまわない。いらない情報をつけることが情報保障だなんて、間違っても思わないでほしい。 
同じような誤解が、Skip Linkの説明にも現れる。同じ内容なんでスキップするね、という説明が、なんと3行以上あるものさえ存在する!これを延々と聞いていたら、元のリンクリストを聞くほうがよっぽど早いかも知れない。小さな親切、大きなお世話、の例だろう。Jimの説明では、彼が手直ししたらこのスキップの説明は5分の1になったそうである。 
これはすでに508条が発効して2年以上経った状況での話である。確かに、政府系のサイトは、見た目はアクセシブルだ。きっとBobbyやLiftといったツールも、問題なく通るのだろう。だが、それは決してユーザーに使いやすくない。当事者側からの評価は、どうやらまだ完全ではないのだろう。さらに、アクセシブルでかつユーザーブルなサイトとは何かという研究が、まだまだなされていないのだと思う。そろそろアクセシブルなWebサイトにも、ユーザビリティの概念を適用すべき時なのだと思う。ISO13407を適用してデザイン段階からのユーザーの参画を促し、またユニバーサルデザインの基本を適用して多様なユーザーの使い勝手を検証する。ヒューマンインターフェースの世界では、ユニバーサルユーザビリティとか、ユニバーサルアクセシビリティ?という言葉も出てきているようだが、アクセシブルでかつユーザーブルでなければ受け付けないという、消費者としての姿勢も必要だと思った。 
次に行ったWAIの研究グループの発表ははずれ。Tangibleなインターフェースとの連動といった話を期待したのが。。 
次はRBC Royal Bank Cooperationのアクセシビリティ方針に関する説明。参加者は少なかったが、これは意外に面白かった。カナダを中心に展開するロイヤルバンクが、職員、顧客のアクセシビリティ向上に、アクセシビリティの支援者とATの専門家を配置しているというのである。その専任の2名が自分たちの仕事を熱心に説明する。多様な社員や顧客に対する技術的な支援を行うのは、企業の社会的責任であるという明確な姿勢が、羨ましかった。やっていることそのものにそれほど新規性があるわけではない。それぞれの障害に基づいた手の届くサポート、それを多くの社員に対して行ううちに、多くの障害を持つ顧客への対応も、手の届いたものになる。それは社員のモチベーションを高め、ひいては顧客満足度の向上、会社の利益に直結する。アクセシビリティの専門家が、多くの企業でこのような職種につけたら、どんなにいいだろう。日本では企業の社会的責任というときに、アクセシビリティが話題になることはほとんどない。日本の銀行で障害者がばりばり仕事をしているのを見ることもほとんどない。ITメーカーがどんなにアクセシブルなATMを作っても銀行側はコストを理由に全面採用することもない。全ATMがユニバーサルであれば迷わなくていいのに。昼間の銀行はシニアや子連れママばかりなのに、ユニバーサルデザインを全く理解していない店舗も多い。リテールの重視を打ち出しておきながら、日本の金融資産の8割を握るシニア層や今後引退する団塊の世代をこんなに無視していいのだろうかと危ぶんでしまう。日本の金融業会に、このRBCの説明を聞かせたい。痛切にそう思った。

デモも見に行った。相変わらず、AACの製品は膨大だ。カラフルな点字練習ツール、白杖にフォースフィードバックで方向や位置を伝える道具、面白いなあと思えるヒューマンインターフェースの研究成果が目白押しだ。CHIなんぞにいくよりか、なんぼか実用的であっと驚くインターフェースの山なのになあと思う。一緒に回った星野さんも、実際にユーザーとやりとりしながら研究者が製品開発の第一線にいることに共感していた。
AACの例 カラフルな点字練習ツール 手に感触の伝わる白杖
伝説のチョコレートタワー

夜はMcCormickへシーフードを食べに行く。ここのデザートのチョコレートタワーは絶品だ。これのために、メインディッシュは軽いものにしておく。別腹というのが科学的に正しいのだという学説?をめぐって熱い議論が起こる。世界は平和だ。


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