3月22日 ComputerAccess Center(CAC)視察
朝8時からGSA(General Service Administrator)の508条調達基準のセッションに出る。ワシントンからGSA担当者が来て説明していた。しかし、実際に話を聞いてみるとかなり日本で理解していたのと違う項目がどんどん出てくる。私や他の日本からの参加者を驚愕させたのが、2003年のなんと1月に、LOGOフェーズが来るというものだった。すでに彼らは80ほどの製品をリストアップしているという。それにLOGOをつけるといううわさも確かにあったし、6月21日の2年後にはGSAは進捗状況を大統領にレポートする必要があるので、たしかに可能性はあるだろう。しかし、なんで1月なんだ?もう1年半しかないようなものじゃないか?日本の企業はそれに対応できるのか?実際には誰がどうLOGOをつけるのかまだ詳細には決まっていないらしいが、少なくとも連邦政府が調達基準を508準拠のもの以外は買わない、メーカーはそれ以外作るな、LOGOマークをとれるようがんばれと叱咤激励しているのは確かである。
カナダやEUもこれに追随しており、どんどん世界的な動きになっているという報告もあった。はて、日本はどう対応すべきなのだろう?
次にはBostonにあるWGBH NCAM(National Center of Accessible Media)の全盲のエンジニア、Tomの話を聞きに行く。彼はこれまでCDやDVDなど、学習教材のアクセシブルプロジェクトを担当してきたが、今年はEPG(電子番組表)のアクセシブル化を話してくれた。私も日本では少しはデジタル放送のアクセシビリティにかかわったが、Tomたちのように最初のデザインからかかわれるわけではないので、なんだか羨ましかった。しかし、この部屋にも大量の視覚障害のエンジニアが来ていて、Tomと熱い議論をしている。テレビ番組表というアクセスしにくいデータに対する、視覚障害者のアクセスへの熱意というものを、ここでも感じることとなった。
午後は、予定されていたエクスカーションの一つ、CAC(Computer Access Center)へツアーのみんなでバスで行く。普通の街の、普通のお店の中に、こぢんまりとあるセンターが、私にはたまらなく羨ましかった。パソボラなどの支援センターはこうでなくてはならない。自転車でいける距離に、お買い物のついでにちょっと寄って、このソフトのここがわかんないんだけど、と、気軽に聞けるようであってほしい。93年にSNSセンターを開設したときも、本当はこんな雰囲気にしたかったのだ。たくさんの支援技術や情報誌が、さりげなく触れられるようにおかれていて、スタッフはフレンドリーでPCにも支援技術にも詳しい。Co:Writerのような単語予測やHeadmasterのような非接触型インターフェースも、参加者は見たことが少ないらしく、大きな歓声が上がっていた。彼らは一般の小学校で学ぶ障害児の教師や親のサポートとしたり、教師を教えるプログラムを作ったり、それを全米に広めるプロジェクトを精力的にこなしている。
MaryAnnというここのリーダーの女性の賢さと力強さに、何度も畏敬の念をもった。アメリカの支援技術を支えているのは、Greggのような技術陣であり、Dougのような制度のエキスパートであり、かつ、MaryAnnのような、草の根の母親たちだ。地域に根付き、地域で生きる障害者やその家族を支援し、技術や制度を学んで共有し、生活の中に活かしていく最後の部分は、このような人々が支援技術の本当の価値を理解して初めて可能になる。今回参加してくださった練馬ぱそぼらんの関さんは日本でも数少ないこの分野の理解者だが、彼女たちの活動を支援する体制、理解が深まるよう、祈らずにはいられない。
技術や制度を、作るのも人間だが、それを運用するのも人間だ。そのことを、再度認識させてくれたCACの訪問だった。コーディネートに尽力した弊社の山本嬢にも感謝する。