「2000年 テクノロジーと障害者」会議ツアー
3月24日 (その2)WGBH Caption Center訪問
24日の午後、Caption Centerを訪問した。バスを仕立てて、18人の大部隊となってしまった。ここはボストンほど大きくなく、西海岸唯一の字幕作成センターである。案内してくれたミシェルは、とても良い人で、ほとんど字幕には素人に近いわれわれに、根気よく仕組みを説明してくれた。
NHKのI氏は、複数人が共同で字幕作成にあたるプロジェクト管理の方法に、しきりに感心していた。日本では、字幕作成はほとんどが「一人で最初から最後まで」行う、職人芸の世界で、他人がかかわることを極端にいやがる傾向があるという。映画の字幕作成や、文学作品の翻訳に近い感覚である。しかし、ここでは、字幕は情報提供のある形式にすぎないという印象だった。芸術であるよりも、より早く、多くの情報を視聴者に届けることのほうが大切なのである。この考え方が端的にあらわれるのが、ニュース字幕だ。アメリカでは、ニュース字幕が最も重要だと思われている。
あらゆるPBS(公的放送)で、まず最初にニュースから字幕をつける運動がでるのもそのせいである。しかし、日本ではドラマやドキュメンタリーにしか、基本的に字幕はついていない。芸術の一部なのである。日本ではニュースに字幕がついていないというと、ミシェルたちは、気絶せんばかりに驚いていた。30年の意識の遅れを感じる一瞬であった。しかし、日本の、それもNHKの名誉のために、3月27日からなんと音声認識を使ったリアルタイム字幕が始まるんだと伝えると、それはワンダフルだという反応が帰ってきた。まだ海外でも音声認識によるリアルタイム字幕は実現していない。人間が手で打ちこんで、どうしてこんなに早いのか驚愕するような速度で、会話についてくるのだ。わたしにはこちらのほうが、よっぽどワンダフルに思えるのだが。。。いずれにしても、情報提供という問題に関しての、当事者を巻き込んだ世論喚起が必要だと思われる。