CSUN2014レポート
今年のCSUNには、特総研のみなさんを中心に、教育関係者が多く集まった。二度目、三度目の方も多く、旅慣れている人ばかりで、ツアコンは楽である。で、JTBさんには申し訳なかったが、ほとんどオプションを外して頂き、とってもお安いツアーとなった。空港からホテルへはバスではなくタクシー分乗(たった10分だし)、最終日の観光やディナーもなし(どうせ毎晩みんなでどこかに行っているし)、現地のガイドさんもお願いしなかった。昨年のホテルデルコロナードの訪問(Facebookの表紙に今も使っている)や、その後のディナーはさすがに名店で大変美味しかったのだが、それもお休みし、とにかく今年はシンプルアンドリーズナブルなツアーとなった。
2014年3月18日
一日目 成田で顔合わせをして、各自簡単な自己紹介をして飛行機へ。空港では、LAと違い、本当に小さいので税関が割と早くスムーズに通れて楽だった。で、問題なく荷物を受け取り、タクシーを拾ってホテルへ向かう。なんたって小さな町だ。
今回のホテルは、会場の目の前のEmbassy Suiteである。ここは数年前にも泊まったのだが、そのときは、携帯電話落下事件があり、思い出して、みんなでちょっと首をすくめる。今年は何も事件が起きないといいな。
ホテルにチェックインし、みんなでコンファレンス会場に向かう。今夜はオープニングスピーチのある日だ。会場でSandyを見つけ、挨拶をする。なつかしい顔がいくつもある。
初日のスピーチは、割とわかりやすい話が多いのだが、だいたい、まだ耳が慣れていないため、スルーしてしまう言葉が多く、半分くらいしか笑えない。なんか、残念である。
初日は簡単なレセプションがある。つまみは野菜スティックくらいだが、それなりにワインは飲める。なつかしい顔がたくさん。でも、お互い歳をとったなあ。地元の日本人の盲導犬ユーザーと親しくなる。
なんだか、もう昔ほど、私もあくせく名刺交換に回らない。もうこの分野でやるべきことはやってしまったという気がしている。もちろん、日本では成功なんかしていない。JIS規格や、ISOに提案していたころはまだ良かった。でも、もう今では、日本は完全にパッシングされ、忘れ去られた形になっている。かつては、それがつらかった。日本ではどうなの?と聞かれるたびに、「うん、がんばってはいるんだけど・・・」と答えるのが精一杯だった。今では、もう彼らは何も聞いてこない。もはや、リハビリテーション法508条やEUのAccessibility Actのような法律を、日本が作ることなんて、100年経ってもありえないとわかってしまったからだ。
障害者権利条約の署名から、ようやく6年もたって、なんとか批准にこぎつけた。それを受けるための障害者差別解消法も、国内法として整備はされた。だが、その中に、ICTに関するアクセシビリティの権利は、まったく明記されてはいない。
そうだ。私は世界の流れを受けて、日本を変えようとした。経済産業省も総務省も、最初は本当に理解があった。だが、いま、日本の中で、ユニバーサルデザインを理解しているのはむしろ内閣府と国交省だけで、あとは不明である。欧米各国が日本の状況を聞きたいと思っても、コンタクトポイントさえないというのが現状である。
かつては、この状態を欧米のキーマンに説明するのがつらかった。でも、もう誰も聞いてさえこないので、今は気楽である。なんだか、「結婚しないの?」「子供はまだ?」と聞かれるのが煩わしいと思える年齢を過ぎて、もう誰も聞かなくなったという心境である。ほっとはしているが、内心、どこか寂しい気もするなあ。
夜、結局、つまみだけではなんとなく物足りず、ホテルのレストランで食事をする。アメリカに行くと一度は食べるクラブケーキとサラダだ。相変わらずすごい量。社長が頼んだリブステーキは、巨大すぎて皿に乗らない。当然、ドギーバッグを頼む。
二日目3月19日
今日は朝からセッション三昧。あちこち、興味と関心にまかせてセッション会場をホッピングして回る。
今年から、Facebookが来ている。なんだか、アクセシビリティは初めてらしく、ういういしい。508条対応もあるので、なんだか一生懸命という雰囲気だ。がんばってほしい。Amazonは数年前からきていたかなと思うが、Kindleのアクセシビリティと同時に、さまざまなプラットフォームでのKindleのアクセシビリティをクラウドで実現するという構想を出していて、興味深かった。写真は、読み上げ画面のカスタマイズである。また、アマゾンサイトのアクセシビリティと、24時間365日、各国語によるアクセシビリティサポートの紹介をしていて、なかなか素晴らしかった。目の見えない人もオンラインでショッピングのやり方を教えてもらえる。次第に、アクセシビリティは、サービスに移行していくのだろう。機器に始まり、ソフトに行き、クラウド上のサービスに移り、最後は、その上での人的サービスへと移行する。日本では、いまようやく、この最初の黎明期かもしれない。道は長い。
午後のハイライトはGoogleGlassのコースである。リアルに試せるというので、時間の数十分前に会場へ向かった。これが正解だった。実は、スケジュール表には、このセッションだけが他のものと開始と終了の時間が異なることが明記されていない。オンラインで見ていた人間しか、その情報がわからない仕組みになっている。私はオンラインで見ていたので問題なくデモのかなり前に会場入りし、しっかりテストもさせていただいたが、紙でしか情報を見ていなかった参加者には、ものすごくフラストレーションの溜まった回だったと思う。だって、面白い話は聞けなかったし、GoogleGlassを試してみることもできなかったのだから。
なんだか、この、オンラインでしか情報を流さない、というのは、まるでGoogleの採用試験みたいだなあと思う。高速道路の上の看板に、なにやら意味ありげな数式が。。。これを一瞬で読み解ける人間だけしか、採用のWebサイトにたどり着けないというあれである。
ま、IT企業としては理解できないものではないが、なんだか、アナログ人間にはつらい環境かもしれない。
おっと、肝心のGoogleGlassの使用感をレポートするのを忘れた。面白い。音声入力だけでは聴覚障害者や発話障害者が使いにくいという声を受け、グラスのつるを触って前後左右を動かすというユーザーインターフェースは、なかなか快適である。アプリを選ぶとは思うが、慣れるとそれなりに使える。今回は一般的な検索や地図アプリの利用をデモで行っていたが、セッションの中では、今後の展開として、次のようなアプリケーションが可能になるだろうと述べられていて、会場が湧いていた。
- 聴覚障害者には、Glassの下に字幕を提供するシステム。映像を見せる場合は、各国語対応も可能になる。またそれに留まらず、将来的には、音声認識システムと組み合わせ、リアルタイム字幕として、目の前の人と会話する際の字幕作成も可能にしたいという話であった。
- 視覚障害者には、目の前の障害物を検知し、それを回避するシステム。杖で検知できる部分は問題ないが、階段の下部や、木の枝など、人間の上半身にぶつかってくる障害物は、検知できない。これを、Glassで検知し、危険信号として知らせるというシステムである。
- 視覚障害者のみならず、旅行者に便利と思われるものもあった。目の前の文字を認識し、オンラインでリアルタイムに翻訳し、音声または文字で知らせるというシステムである。これがあれば、海外からの旅行者は、駅の案内やレストランのメニューも自国語で読むことが可能になる。
- 他にもいろいろな仕組みが検討されていた。会場からもいろいろアイデアが出ていた。
会場からは、たくさんの質問が出た。たとえば、現在の音声合成は、骨伝導にしか対応しておらず、人工内耳の人は使うことができない。これに対応するのかという若い女性の質問に、会場からは賛同の拍手が起きた。回答は、検討中ということである。
夜は、みんなでホテルお勧めのイタリアンに行った。シーフードタワーを2つも頼んでしまったので、結構高くて、一人100ドル近くになる。スープもデザートも断ったんだけどなあ。全体が高くなると、サービス料や税金もすごい率でかかっていくから総額が上がってしまう。気をつけよう。
ナイトセッションには、KGSのみなさんや、LAのロン、早稲田の藤本先生が来てにぎやかだった。
3日目(3月20日)
今日も朝からセッションを回る。頭が痛い。飲みすぎたわけじゃないんだけどな。なんだか、寒気がするのでたくさん着込んでいく。それでも会場ではひざ掛けを何枚もかけていた。足りなくてハンカチまで広げる。どこか変だ。。英語がまったく頭に入ってこない。
午後、ハワイのNeil Scottのセッションに行く。数年前に重度障害者たちにオンラインで工作機を駆使してハワイの木工や細工を作ってもらうというプロジェクトを紹介していたものだ。あのときは、当事者が家族がたくさん来ていて、とても賑やかだった。今年はというと、本当に静かだ。。。誰もいないかと思ったくらいだ。当事者たちは来ていないという。プロジェクトそのものも、Neilの話によると、あまりうまくいっていないようだ。せっかく3Dプリンターなども整備して、いろいろなものを作っているのに。結局は、当事者たちが、自分たちのノウハウを活かして、製品を販売し、ビジネスとして自立していこうという意欲に欠けるのだろう。技術はあっても、社会の仕組みとしてそれを活かしきれないという点では、アメリカも日本も同じなのだなあと、少し寂しげなNeilの後姿を見ながら思った。
夕方は、ComCastの企業セッションに一瞬だけ出た。これは、NBCを買収し、いまではアメリカで3位となっている放送局である。会場はとても華やかだった。かつて、IBMやMSが行っていたような豪華なセッションである。お土産あり、ワインあり、華やかなステージあり、で、キーマンも揃っている。しかし、私は今回、夕食を約束していたため、あまり時間がなかったので、一人の視覚障害者と名刺交換だけをするために会場へ行った。Tomである。長年、ボストンのNBSであるWGBHのアクセシブルメディアセンターで
例えば視覚障害者が数学の講義を受ける際にどのようにすればアクセシブルか、ということを研究していた彼は、どうやら、ComCastに引き抜かれたらしい。
そうだよね。現在、アメリカのアクセシビリティの法律は、508条ではなく、CVAAにメインの関心が移っている。インターネット上の映像は、アクセシブルでないと出してはならないというものだ。映像をいかに最初からアクセシブルにするか。いま、アメリカのICT業界と政府の意識は、そこへ向かっているのだ。で、その中心にいるのが、Tomである。もはや、時の人と言ってもいい。いつも人に囲まれている。
私はなんとか彼とちょっと話して名刺交換だけしてきた。もちろん覚えていてくれて、とっても喜んでくれた(視覚障害者は耳も記憶力もすごいのだ)。せっかくのスポンサードセッションを、それもTomが主役のを、ちゃんと聞けないのが申し訳なかった。来年機会があれば、また会いたい。
夜、昨日のイタリアンが高すぎたので、今日はリーズナブルにメキシカンで行こうと、オールドタウンに繰り出す。藤本先生も一緒だ。ここはいつ来ても楽しい。巨大なマルガリータと、ファヒータで満足。15ドルもかからなかったかも。隣の席の女の子たちがあまりに可愛く、頼んで写真を撮らせてもらった。
4日目(3月21日)
(8:00 GPII のみか。具合が悪くて何もできない)
朝からだるい。もうダメだ。でも、朝一のセッションでどうしても出たいのがあった。GPIIである。IBMの部屋でやっている。ものすごく具合が悪かったが、ともかく支度をして出て行った。これは二年前から注目しているプロジェクトである。EUのFP7で数年に渡ってファンドされているもので、各国のアクセシビリティ研究者、大学、研究機関、企業が参加している。Gregg Vanderheidenや、Jim Toviasといった大御所、IBMなどのグローバル企業がみな参加している。
内容としては、街の券売機やATM、図書館のPCや、飛行機の個人用テレビなどの公共端末を、クラウドでアクセシブルにするというものだ。アクセシビリティを支援するためのソフトをクラウド上に置き、各人が持っている携帯電話などからその公共端末にアクセスして、各人が必要とする支援技術は何か、どう設定してあればいいかという情報をクラウドに送る。それにより、公共端末を、各人のプロフィールに応じて設定できるというものである。
これは、考え方としては大変面白い。実際に、フォントサイズやカラーコントロールを各人好みに変えるだけでも、見易さが格段に変わる層も多い。ICカードをかざすだけでもいいとは思うが、セキュリティや本人認証の手間を考えれば、携帯のような個人所有の端末と、公共端末が会話するというのが、ユビキタス的である。
ただ、今年の発表は、最終日だったせいか、昨年より観客が少なかった。会場からは、「実際、クラウド上の支援技術のメンテを、誰が行うのか、それを各人のプロフィールに合わせてカスタマイズするという作業は、本当に自動化できるのか?」といった質問が相次いだ。
確かに、OSも、組み込みソフトも、みな一様ではない公共端末を、いかにクラウド上であるとはいえ、支援技術がその場でダウンロードできて、一瞬でカスタマイズされるというのは、実現すれば素敵だが、実際に可能かどうかは何とも言えない。むしろ、GoogleGlassで自分の環境を変更する方が簡単かもしれない。このプロジェクトはあと数年続くので、今後が楽しみである。
今回、これに出る必要があったのには理由があった。このGPIIを、ICTの将来像として、放送大学の講義で紹介していたのである。「情報社会のユニバーサルデザイン」の最終回で、視覚障害者などの今の情報弱者は、将来、むしろ情報強者になるかもしれないというメッセージを伝えていた。その中で、GPIIの映像を日本語化して使わせて頂く許可を、GreggとJimにお願いしていたのである。快く引き受けてくれたので、今回、お礼に、京都から季節の和菓子を買ってきていた。このセッションで渡せなければもう会えないかも。そう思って渡しに行ったのである。とても喜んでくれた。
デモのレポートをしていなかった。今回は毎日、一回ずつ見に行っていた気がする。リアルタイムキャプションを表示できる電話機とか、普通紙に打てる点字タイプライターとか、それなりに支援機器は面白い。結構まともに音声認識して会話するロボットも出ていて、女子に人気だった。また、日本人のベンチャーが、かっこいい車いすを展示していて、目を引いた。このCSUNでは、あまり移動支援機器の展示はないからだ。結構ハイテクなので、確かにこの会議でもこういう機器もあっていいのにと思う。
GPIIのセッションで二人にお菓子を渡すと、もうなんだか、気力が失せてしまった。部屋に帰ると、社長も具合が悪いという。午後はアウトレットに買い物に行く予定だったので、なんとか出て行ったが、ショッピングモールに着いて焼きそばを買った時点で、もう帰りたい!とのこと。どうやら二人とも風邪をひいたらしい。社長には先に帰ってもらい、私はモールで少しだけ安い服を買った。
夜は、本当はインターナショナルのレセプションがあったのだが、これもパス。毎晩、私の部屋でやっていた宴会も、どうも不可能なようなので、部屋にあったワイン、ビール、つまみなど、すべて金森先生の部屋に運び込んだ。で、夕方から、昏々と眠り続けた。熱がある。寒い。こんな状態は初めてだ。。。
5日目(3月22日)
もう帰る日である。私はなんとか持ち直した。チェックアウトして、またタクシー分乗で空港へ向かう。出国も、小さい空港は楽だなあと思っていたのだが、ここで落とし穴が!免税品店が、小さいのである!そりゃそうだわな。LAやNYのように、巨大な免税品店があるはずがない。だって小さい空港なんだもの。ちっちゃなキオスクみたいな免税品店で、あ~、買いたかった化粧品は全然売っていない・・・。想定外だわ。。ま、これも仕方ないか。その分、飛行機内で大人買いをしてしまう。
今回、行きも帰りもアイル(通路側)をお願い出来ていたので、楽だった。行きがけは「利休にたずねよ」と「アンナ・ハーレント」を見ていたのだが、帰りは、寝ないで映画を見ると決めていたので、映画三昧となった。意外にこういうとき、邦画もいいものだ。
帰りは「それでも日は昇る」を見始めたが、やはり病み上がりの身にはこういうタイプのものはつらい。途中で見るのをやめてしまう。結局「清洲会議」で大笑いし、やっぱ浅野忠信はいいなあ、とか、三谷幸喜は天才や、とか考える。最後は「そして、父になる」で子役の演技に泣いた。
結局、予定通り、一睡もしないで日本に着いた。さ、今夜は時差ボケ解消のために熟睡して、明日はとにかく病院に行くぞ。ツアーのみなさま、今回は、ツアコンの役目をちゃんと果たせなくてごめんなさい。でも、相変わらず、皆さんと行くサンディエゴは、とても楽しかったです。また会いましょう!