2002年CSUNツアーレポート:関根千佳(2)
3月18日 LAにて
ホテルに先に辿り着いて、みんなの到着を待つ。1時間後のはずなので、荷物を出して、シャワーを浴びて、準備万端整った。が、来ない。おかしいなあと思いつつ、しかたなく隣のマリオットまで行ってレジストレーションを済ませ、ロビーでUS Census BureauのBill Laplantと話をし、1時間近く遊んで帰ってきたのに、メッセージも残っていない。結局2時間以上遅れて、お昼ごろ電話がかかった。「すぐに降りてきてください!」どうやら出発自体が1時間以上遅れたらしい。ま、いつかのUDツアーのように、その日のうちに届かなかったというのではないから、まだいいほうかもしれないが。 バスを見て驚いた。おやおや、なんという巨大なバスだろう。今回は30人もの大団体で、かつ、今回は車椅子用リフト付きなので超大型になってしまったのだそうだ。予算内で収まっているのか、JTBの状態がかなり不安になる。車内には、見知った顔も、初めての顔もあった。しかし、すごい人数だなあ。。。
バスは一路、マリナデルレイに向かう。お天気がよくて、とても海がきれいだ。
芝生の上に寝転がっているホームレスも、なんだか、幸せそうに見える。車椅子のホームレスもいるようだ。かつて、ホームレスになれる権利?も保障されているアメリカの障害者は日本より幸せか、こっちで暮らしていた当事者と熱く議論したことがあったのを思い出した。
昼食は、マリナデルレイのWarehouseというレストラン。玄関にはこれまで訪れた多くの有名人の写真がある。わたしはジョン・ウェインくらいしかわからなかったが、映画に詳しい人なら垂涎の的なのだろう。外のほうが涼しいかも、と海際のテーブルをとってもらうが、実際には暑くて大変だった。みな、真っ赤に日焼けしてしまう。
午後はWCILへ行く。ここは、カリフォルニアに17箇所ある自立支援センターの一つで、多くの当事者が働いている。ピアカウンセリングが徹底していると感じた。30名もお客が来るというのは、ここでもなかなかないらしく、会議室に椅子が足りずに外からかき集めてきた。いやはや、この30名という数字はどう考えても、制御の範囲を超えるかもしれない。次第に不安が募っていく。視覚障害のベロニカの説明でWCILを説明してもらったが、ブレイルライトに入力できる速度で話してくれるのが、却ってみんなには子守唄のように聞こえ、大半が寝てしまった。。。相手が見えないからといって、これはいけませんね。。。でも、ここで、視覚障害の人は最初から目をつぶっているので、ばれにくいことに気がついた。なんか羨ましいなあ。WCILの中を見せてもらったが、説明は2名、ついていけるのはせいぜい5〜6名なので、後はただ、眺めているだけという状態になってしまう。さらに、話してもらいたかった内容と、彼らの説明が微妙に食い違っていることに気がついた。Bruce Johnsonのコンピュータラボの見学をしたかったのだが、そこでなく、ここへ、と通されたセンターでは、そのようなサポートはメインではなさそうなのだ。忙しさにかまけてセンターのWebをきちんと読んでこなかったことを後悔した。
ま、しかし、よく考えてみれば、ここでやっているサポートが本物なのかもしれない。地域の障害者がそこへやってくる。同じような障害を持つ職員が、「で、あなたは何がしたいの?」と聞く。その、やりたいこと、実現したい自分に向かって、力をつけることを支援するのがここの役割だ。パソコンは、その1手段にしかすぎない。だから誰も特別扱いなんかしていない。だってありふれた道具の一つなんだもの。はさみや包丁みたいに、使えれば便利だよね。というレベル。専門のリハ・エンジニアもいない。だって、支援技術はそこらの分厚いカタログから選ぶものだから。どうしてもわからないときは、ネットワークで誰かに聞けばいいさ。日本のように、一から手作りなんてあまりしない。市場が成熟しているからできることなのだが。
ホテルに辿り着いたが、チェックインとレジストレーションがまた大変だった。何か足りない人が続出する。毛利さんがほとんど切れかけているのがわかってあせった。そう、やっぱり30人は制御できる範囲を超えているかもしれない。来年はもう少し考えよう。毛利ルームは、コネクティングだったので、なんとか20人近くは収容できそうだ。よかった。私は視覚障害のTさんと同室だ。よろしくね。