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2007年CSUNツアーレポート:関根千佳(9)

3月23日(その2) リトル東京の日系人博物館へ行く

日系人博物館数年間、ずっと行きたいのに行けなかった日系人博物館にも、今年やっと行けた。林先生と矢野さんと3人だと、絶対、親子だと思われるようだ。ま、こういうのもあっていい。日系人の歴史は、わかっているようで実は知らないことのほうが多い。一世に市民権が来るまで大変な苦労をしたことも、一世と結婚した二世女性の市民権が剥奪されたことも、収容所を出てからのほうが辛酸をなめたことも、私は何も知らなかった。もっと勉強しなくてはならない。歴史を学ぼう。世界がどう動き、社会にはどんな不正があり、それを正すためにどんな人々がどう動いたのか、知ろう。説明の中に、何度も、メインストリームという言葉が出た。Civil Rightがどれだけ貢献したかも触れてあった。女性や障害者と同様に、主流になるために続けた努力の100年を知ることは決して無駄ではないと思う。

中に、日系人を支援したアメリカ人も紹介されていた。収容所の教え子にずっと手紙を送り続けたバーバラ・クリード、17歳で日系人の友人について収容所に行った少年など、印象的な人々だった。彼の説明にこう書いてあった。

日系人博物館の建物 空が青い収容所を出てから、多くの人が僕に聞きました。
「なぜあなたが、行かなければならなかったの?」
僕はいつもこう答えました。
「誰一人、行く必要はなかったのではありませんか」

私は心を打たれた。このアメリカ人に対して、だけではない。同じように戦時下の日本でも、外国人への迫害や差別に対して戦った日本人もいただろう。杉浦千畝の名誉回復が50年かかったように、おそらく誰にも知られないで消えていった、良識ある人々が、たくさんいただろうと思ったからだ。日本人がアジアで行ったことを、なかったことにしようという動きの中で、おそらくそういう人の顕彰なども、ありえないことなのだろう。時間の中に埋もれていく、たくさんの人々の思い。なんだか、それを、書き残したくてならなくなった。たぶん、日本のATやUDも、そういうささやかな人々の思いの上に成り立っているのだから。


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