第一章 秋の章「温泉地の秋」
7.蕎麦屋(その2)
父がやっとの思いで、言葉を発した。
「お母さん、仕組みそのものが疲れるって、どういうことなの?」
「優しくないくせに、お節介ってところだね。例えば駅で切符を買う。監視カメラで私の顔と手のしわをみているんだろうね。機械から、『おばあさ
ま、○○駅まででよろしいですか?』なんて音声で確認が流れる。恥ずかしいったらありゃしない。小さな親切、大きなお世話ってものさ。他の人には流れない
んだから。銀行でもこんな機械増えているけど、高齢者とか障害者だって周囲にばらすのは、危なくっていけないよ。たしかに私は年寄りだ。機械や道具は使い
やすいほうがいい。でも、わたしが何歳で、視力や聴力がどれくらいかって、機械に勝手に診断されて、勝手にネットワークにその情報が流れて、誰かがそれを
利用しているのかと思うと、腹が立って仕方が無いんだ。勝手に使うなって言いたくなるんだ。二十一世紀に入った頃から、少年犯罪なんかが多発して、どこで
も膨大なテレビカメラが設置され、いつでも誰かに見張られる社会になった。公共の場所ならまだ許せる。でも、家庭にまでたくさんのセンサーが入り、やれ体
温だ、やれ血圧だって、年中、勝手に測定されて、ネットから忠告メッセージが送られるのって、やりきれない。私は、自分がそうしたいときだけ、自分のデー
タを送りたいの」
「そうだ、そうだ、昨日は酒を1.5合飲んだので、今朝のγ-GTPは10上がっています、なんて、朝いちのメールで見たくない」
祖父も応援する。
「ここに来て、思ったの。システムが、なんて人間の思いに沿ってできているんだろうって。わがままを聞いてくれて、それでいて押し付けがましくな
いシステム。自分で制御できて、自立感を持たせてくれて、そしてもしものときには、きっと誰かが助けてくれると安心していられるの。このまちやまちの人そ
のものみたいに、信頼できるのよ」
翼はさっきの、天ぷらうどんを自分で注文したときの少年の誇らしげな様子を思い出していた。親も、遼子さんも、見守ってはいたが口は出さなかっ
た。選択権も、決定権も、少年自身にあるのだ。おそらく遼子さんは、どんな高齢者にも、障害を持つ人にも、同じように接し、その人が本来持っている尊厳を
守って自己決定を支援しているのだろう。そして、システムがその配慮を支えているのだ。
「おばあちゃん、ルイカは銀行など、街の中でも使えるの?」
翼は聞いた。
「ああ、そうだよ、券売機やATMの補助になるんだ」
祖父が説明に入った。
「ただ、これだけでお金がおろせるわけではない。あくまで補助だ。わしのルイカをATMに向ける。ルイカに登録しておいたデータに沿って、ATM
の画面を見やすく手直ししたものが、ルイカの画面に出されるんじゃ。もっと耳の遠い人なら、ルイカについたイヤホンで音声案内を聞くことも可能だ。ATM
自身が音を出すわけじゃないし、画面を切り替えるわけでもないから、どのATMでも同じように使える。ルイカの側はATMと連動した表示が出るだけだ。
ま、何にでも使えるリモコンみたいなものかな」
翼はうなってしまった。
「不思議だな、東京でもまったく存在しない、こんな機械、いったいなんでこんな田舎にあるんだ?」
「あの、」
それまで黙って聞いていた遼子さんが、口を挟んだ。
「よろしかったら、ルイカの開発者をご紹介しましょうか?わたし、午後はそこへいくことになっているんですけど」
蕎麦屋も昼時で混んできていた。遼子さんはこんなときでも、入り口に並んでいるお客の列にも注意を払っていたのだろう。天ぷらうどんの男の子の
一家はいつのまにかいなくなっていた。