第一章 秋の章「温泉地の秋」
1.温泉へ向かいながら(その1)
午後の日差しが、川の蛇行に合わせて向きを変えた特急列車の中を、黄金色に染めて過ぎてゆく。老夫婦と孫の青年の顔にも、まぶしい光が当たっては流れ
る。ワゴンサービスが回ってきた。
「お弁当におつまみ、ビールにコーヒーはいかがですか」
それまで黙ってきた祖父が口を開いた。
「おまえ、ビール飲むか?」
青年、上村翼は答えた。
「いや、僕はコーヒーがいい」
祖父はビール二缶とコーヒーを頼んだ。ビール一缶は黙って祖母の前に置く。翼はブラックのコーヒーをすすった。祖母は静かに缶を開け、祖父と乾杯し、ひ
とくち飲んで前に置いた。きっと三分の一も飲まないうちに、空になった祖父の缶と交換するのだ。女も少しは飲めたほうがいいんだと、昔、祖父が言っていた
のを思い出す。
翼は外を眺めた。窓の外には、一面に川が広がっている。森が水面に映り、東山魁夷の絵のようだ。なんだか、とんでもなく遠くへ来てしまったようで、少し
心細い。祖父母はさっきから黙ったままだ。でも、楽しそうではある。もう何も言わなくても、お互いの考えていることがわかっているみたいだ。目で、外の何
かを示す。うなずいてそれに応える。言葉はない。でも、こころが通じている。
(「ご覧、この川、きれいだね」)
(「ええ、水が豊富なこと」)
言葉にならない会話が続いていく。僕にはわからない会話が。
祖父母を見ていると、自分のコミュニケーションというものが、とてつもなく薄いものにさえ思えてくる。どうしていつも、あんなにのべつまくなしに、友だ
ちとしゃべっていないと気がすまないんだろう。それがすべての不安を解消できるかのように。でもそれが、新しい不安の根源かもしれないのに。
祖父母は言葉では語らない。こころで語っている。五十年という長い月日の中で、言葉以外の何かで会話するすべを身につけていった。「何もかも話せる人
と、何も話さないで居るのが好き」いつか、こんな女の子のセリフを聞いたような気がするけど、それって、こんな状態をさすんだろうか。
もちろん、最初からこんなふうじゃなかったはずだ。祖父は若い頃は遊び人でならしていたという。縦のものを横にもしない生活の中で、六十を過ぎて祖母が
倒れた。駆けつけた家族にさえわからないことの多い日常生活を一人で仕切る必要に迫られ、祖父は途方にくれたという。それからである。日本男児の典型のよ
うだった祖父が、別人のようにフェミニストになったのは。どんなときにも、まず祖母の目を見て、意見を聞いて決める。祖母の好むものを、まず真っ先に考え
る。家事も、できることを探して手伝う。あまりの豹変ぶりに、周囲が混乱してしまったくらいだ。
今回だって、そんな二人のわがままから出た話だ。上村翼は修士課程の二年生で、電子工学を修めている。修士論文で忙しくってかなわないのに、この二人
が、突然高布町(たかふちょう)に湯治に行きたいと言い出した。同居している両親はどうしても身体が空かないというので、翼が温泉へ連れて行くことになっ
たわけだ。お小遣いをはずんでくれるっていうから引き受けたけど、本当は翼は山奥の温泉地なんて、まったく興味なんかない。テニスコートも映画館も、朝ま
でやってるジャズバーもないのに、どうして生きていけるんだろう。コンビニくらいはあるんだろうか?と不安に思っている。
祖父は、案の定、自分のビールはさっさと空にして、祖母のと取り替えた。どっちも何も言わない。でも、通じている。僕にも、結婚して五十年経ったら、こ
んなふうに、何も言わなくてもわかるような相手が現れるんだろうか?
電車は、山あいの線路を登っていく。こころなしか、外気温が下がってきたようだ。窓ガラスが冷たく感じる。山は紅葉が始まっていて、そこかしこに、赤や
黄色の広葉樹が見える。
「いいところだねえ」
「ええ」
祖父母が会話した。眠くなりかけていた翼には、実際の会話だったのか、それとも心の中の会話が聞こえたような気がしたのか、よくわからなかった。