スローなユビキタスライフ感想文
青山 友紀 氏 東京大学大学院 情報理工学研究科 教授
ルイカとともに生きるスローなユビキタスライフ
- スローなユビキタスライフを読んで -
現代社会は様々な問題を抱えている。その問題は現代人の幸せとはなにか、どのように生きれば人は幸せと感じるのか、という根源的で深刻な問いに関わってい
る。
21世紀に入った日本人は物質的に豊かで便利で快適な環境に恵まれて生活しているのに、戦後の復興期から先進国の仲間入りをする頃の熱気と高揚した心情が
失われている。
日本人の誰もが同じように抱いた明確な目標があり、その目標に向けて頑張っていた頃の心の張りが失われている。
社会の構成員であるそれぞれの世代、退職して老後を生活をしているシニアな世代、組織の重要なポストを占め指導的地位にある50代、中堅として実際の仕事
に追いまくられる中年世代、青春時代の10代後半から20代、そして学校で生活する小学、中学、高校生時代、のそれぞれがそれぞれの世代特有の問題に直面
し苦悩している。
スローなユビキタスライフの筆者はそれぞれの世代が抱える問題をとりあげて登場人物を設定し、ルイカとよぶユビキタスアプライアンスとバックにあるユビキ
タスシステムがどのような役割を果たせるかを考察し、それを物語として描いたものである。技術者はテクノロジーに興味があるので、そのテクノロジーの面白
さに夢中になって、それが人の抱える悩みや人生の問題にどのように役立つことができるのかに思いを馳せることはほとんどない。筆者はそれに反して、まず現
代社会の抱える問題を取り上げ、それにテクノロジーがどう貢献できるのか、という視点で話を進めている。ユビキタス情報社会をそのような視点でとらえかつ
具体的な技術を登場させながら描いているものは見当たらないので、本書は大変ユニークで貴重なものである。
高布町という温泉場が一種の理想郷として登場し、そこに住む善意に溢れた人々のコミュニティが描かれている。その理想郷と大都会の失われたコミュニティが
対比させられている。その対照的なコミュニティを背景に各世代が起こす事件にルイカをユビキタスの代表選手として登場させ、物語は進展していく。このシナ
リオで重要な点は遼子と香成という2人の登場人物である。一人はルイカの開発者であり、もう一人はそれを用いてこの温泉地を訪れる観光客や療養者の世話を
する温泉セラピストである。ルイカという技術だけが活躍するのではなく、遼子と香成という人達がルイカを支えて初めてユビキタス技術が生きてくることを筆
者は訴えている。
ユビキタス情報社会で大きな問題となるプライバシー保護についてもストーリに組み込まれている。プライバシーの問題はユビキタスシステム設計思想に関わっ
てくる。プライバシーをどのように捉えるか、明確なプリンシプルを立ててからユビキタスシステムを設計しなければならない。物語では開発者の香成がそれを
どのように考えているかがさりげなく語られている。
この物語はルイカが主人公であり、それが活躍するところを描かねばならないので、やむを得ないところであるが、これを小説として読むと物足りなさがある。
筆者の文章力を考えると、次は翼と遼子の恋物語としての優れた小説を期待したいと思うのは私だけであろうか。
以上のようにこの物語は登場人物、時代背景、世代の抱える悩み、を周到に配置し、それにルイカというユビキタスアプライアンスが活躍する話であり、ユビキ
タスの研究者・技術者にとっても大変参考になる読み物である。やおよろずプロジェクトに参加し、筆者と知り合えたことは今後のユビキタス情報社会のテクノ
ロジーの研究者として有難いことであった。筆者の活躍は今後の日本のユビキタス技術の研究開発にとってより重要となるであろう。